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実益 … 勇気
| エッセイ | comments(3) | trackbacks(0) | 2010.03.28 Sunday |


「実益がないから、これはやるメリットがない」

 こう書いたら、みなさん、どう思われますか?金銭的な益や、便宜的な益に取られますよね?おそらく、多くの人がそういう意味にとると思います。そして、ある特定の団体の実益といえば、少なくともその集団に属する人たちを説得する意味では功を奏すと思います。そこで、それを日本の中で最大の説得…ということまでいくと、その実益というのは「国益」ということになると思います。「日本の国益のため」という説得のし方だと、大部分の人が反対できないようになるのではないでしょうか?

 しかし、そこまでいっても、少数の割合の人は納得しないのではないでしょうか?それは、日本人だけでなくて、全世界の人々、すなわち、人類の実益にならないといけないと考える人たちでしょうか?もちろんそれもあると思いますが、もし、「人類益」というところまで行っても、それでも説得に応じない人もいるのではないでしょうか?もうここまで書くと、人類だけでなく、すべての生物、命あるもの、・・・・それでもまだいきつくところは、際限がなくなるのかもしれません。

 話をまた最初に戻します。もうひとつの角度から「実益」という言葉を眺めます。最初に問題提起をしましたが、金銭的経済的な益だけを意味するものでしょうか?金銭的にはむしろ損をしても、結果的には、益をもたらす、あるいは、その人の精神的なところで、十分な益をもたらすということもあるのではないでしょうか?それを「実益」と感じる人ももちろんいますでしょうし、そんなものは「実益」とは言わないという人ももちろんいます。いや、そんなものこそ、本当の「実益」なのだと、言う人もいるでしょう。

 つまり、人ぞれぞれ、その感じ方は違います。それは考えてみれば、当り前なのですが、そんなことを、みんな承知していての議論ということを前提の上で、いつもわたしたちは、「語り合い」や「話し合い」をしています。そしてそこで、初めて、この人とわたしは違うのだと、認識したり、あるいは、話す前から、あなたとは違うのだと、わかった上で、話をしていたり、いろんな状況があります。

 そんなことを考えていると、違うことが当たり前で、違うことが素晴らしいという、一人一人の人間が、語ったり、話し合ったりして、一つの「同じ気持ち」になったような感覚になったり、一つの「同じ意見」になったりすることは、とても、偶然で、難しいことが、なぜか一瞬のうちに起こるような気がします。もちろん、妥協の産物の多数決の原理であったり、人間関係が決裂したり、話し合いが流会に終わることもありますが、考えてみれば、そっちの方が、自然な成り行きだというふうにも考えられます。

 わたしたち、一人一人は、みんな違った、それぞれの自我を持った素晴らしい存在です。しかし、その、素晴らしい存在としての個性も、絶えず、変化し続けているということです。同じ気持ちになったり、同じ意見になったりすることは、その証拠な様な気がします。一対一の関係も、どうせあの人にこんなことを話しかけても、同じ答えが返ってくるだけだ、と思っていれば、その変化は生まれません。話し合いも、誰かが、思い切って新しい意見を切りだすことをしなければ、動かないままになってしまいます。だれかのそんな、少しずつの勇気が、ある人間関係を、ある団体を、また、日本全体を、世界全体を、そして、宇宙全体を、いつも動かし続けているのではないでしょうか?

 その「勇気」って、いったいどこから生まれてくるのでしょう?よくわかりませんが、気づいた時には、そう、口に出している、発言している、ということがほとんどなのではないでしょうか?どんなすごい政治家も、実は、そんなものなのではないでしょうか?人間なんて、金銭的便宜的な意味だけの「実益」という意味の先見性だけをとらえても、どれだけ、正確な力を持っているかなど、とても信頼のおけるものではないと、わたしは思います。先々でどんなことが起こっても、この人なら、こんな信念で、しっかりとしたかじ取りをしてくれるのではないだろうか?という、言いようのない「信頼感」を、より多くの人から得られる人が、リーダーになっていくのでしょう。つまり、金銭的経済的な、数字の上での「実益」にとらわれると、そんな、信頼のおける人物像や、人の考えや、国の政策も、見えなくなってしまうのではないでしょうか。

 今日、田原総一朗がやっている、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」が21年の幕を閉じました。わたしがここで書いていることと直結しているとは思いませんが、彼が、日本の行方をになっている数々の政治家を相手に、手厳しい質問を突き付けていた、その原動力となった「ジャーナリスト魂」(今日の放送で周りがそう表現していました)は、わたしなりに、こういうものではなかったか?と思います。それは、先のことなどわかるはずもない、日本の将来など誰も正確にはわからない、そんな愚かな人間の中で、

「おまえは、その責めを負っている人間じゃないか!
 少なくとも わからないなりに
 国民を前に 勇気をもって言ってみろ・・」

こう、言っていたのではないか、と思うのです。結果は、その次についてくる、人間が分かるはずもないのだ、ということではなかったのでしょうか…。

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Comment
to
|2010/03/29 7:48 AM|   
この「勇気」を…
「使命」、その人の「役割」と
言うのではないでしょうか…。
びおろん
|2010/03/30 10:05 PM|   
私の単細胞の頭脳では、toさんの論理について行けませんでしたけれど。

人が一人一人、その使命を帯びて生を受けているということには、全く同感です。

私は,宇宙の大きな流れの中に,少しでも役に立てる一粒の存在であり得たらと思います。
それは大きな視点ではありますが,言い換えれば今与えられた人生が一番自分に似合っているから,そこを誠実に,自分らしく乗り越えさせていただきたいと思っています。
to
|2010/03/30 10:30 PM|   
亀井大臣の郵政改革、
そして、今日、鳩山首相が決断しました。
こんなことが、
2人の政治家の「使命」であってほしいと願うばかりです。

わたしが言いたかったのは…
一生懸命想い悩んだ挙句に
心の中にふっと湧き起こった想いに従うこと
 =「使命」
と、いつも考えていて、
それは、わたしたちのような凡人にも
また、上に書いた国民的政治家にも
それぞれに応じた使命・役割があるのだとうことです。

つまり、平たく言えば、
使命が、利益や利権に汚れていてほしくないということですね。









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